日本に於ける金工の歴史は、二千年余の長きに渡ります。今日、展延性や可塑性といった多用な性質を持つ金属は、芸術家が作品を制作する際に主要な媒体となっています。フリーア|サックラーは、優れた金工作家を顕彰し、その作品を広く観衆に紹介するため、日本金工作家招聘制度を2015年に設立しました。
最初の客員作家として選ばれたのは、大角幸枝氏でした。 大角氏(1945年生)は、鍛金技法で成形し、布目象嵌と呼ばれる象嵌技法を用いて装飾を施した銀器を専らとされています。下地となる銀板から形作られた器に金や鉛を象嵌して、雲・水・波などの自然の情感の表現に取り組まれておられる氏の作品は、東京国立近代美術館やスコットランド国立美術館をはじめとして、数多くの美術館に収蔵されています。
2014年に開催された第61回日本伝統工芸展へ出品した銀打出花器「風韻」は、栄えある日本工芸会保持者賞に輝きました。また翌年には、金工・鍛金では女性初の無形重要文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
大角氏は2015年10月に訪米され、約一ヶ月間滞在されました。この間、美術学生、作家、美術館職員、そして一般を対象とした講演・授業・実演を通して、その作品・美学・卓越した技を披露してくださいました。また渡米を前に制作過程を撮影した動画を用意され、 美術館で行われた講演の際に公開されました。更には、作品への取り組みについてお話くださった対談も録画されました。 滞留中には、「大角幸枝:風と波」と題して、氏の作品がサックラー・ギャラリーに於いて特別展示されました。
弊館以外では、ボルティモア・ジュエリー・センターに於いてワークショップを開催し、布目象嵌技法を教授されました。各参加者が受け取った鑿や金槌といった工具一式は、氏自らが焼き入れや研ぎをしてくださったものでした。米東海岸を旅した際には、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインで金工と宝飾デザインを専攻している学生たちに講演をすると共に、美術館、ワークショップ、金工作家を訪問しました。「自由の女神」の内部にある巨大な銅枠がどのように構築されているかを視察する稀な機会にも恵まれました。
2015年11月には、蒐集家であり研究者でもあるシャーリー・Z・ジョンソン氏が、現代日本の金工作品について講演されました。
日本金工作家招聘制度 次期客員作家 2018年4月
第二期客員作家として、田中照一氏(1945年生)が選ばれました。氏は、銅合金に金・銀を配した美しい色調の創造に優れ、文箱様の大型箱物作品で広く知られています。銅を主原料とし、他の金属を添加した銅合金は、小豆色や青みのある灰色から黒に近い色合いまで、非常に多彩です。銅と金(3%)の合金は赤銅色、銅と銀(25%)との合金は四分一(しぶいち)と呼ばれる銀灰色、そして銅とヒ素(1%)の合金は黒味銅(くろみどう)と言う銅よりも黒味を帯びた色を呈します。これらは日本古来の色金(いろがね)で、仏祭具や刀装具に用いられてきました。氏は、異なる色金を配することによって、「光と影」や「空と水」といった絵画とも見紛う視覚表現をされています。まず、相対する色調の板材を接合した後、槌で叩き成型していきます。鏨(たがね)で金属表面に彫った細かな溝に、別の金属を埋め込む象嵌技法を用い、装飾を加えていきます。
田中氏は代々金工を生業とする家に生まれ、祖父と父の下で、また東京工芸高校で金工を学びました。現在でも多くの工匠が居を構え賑わう、下町情緒にあふれた東京谷中で生まれ育ち、今に至ります。1971年(昭和46年)、年一回開催される公募展である日本美術展覧会(日展)に入選したのを機に、金工作家としての道を歩み始められました。1979年(昭和54年)からは、日本新工芸展へも出品し、現在では審査員を務めておられます。氏の作品は広く認められており、京都府知事賞や箱根彫刻の森美術館賞など、名誉ある賞を数多く受賞されておられます。
田中氏は2018年(平成30年)4月に訪米されされました。講演会では、同年に開催された日本新工芸展へ出品する作品の制作過程を記録した映像を見せてくださいました。対談 では、これまでの経歴や制作過程で協力してくださる地元の職人の方々についてお話くださいました。滞在中には、シャーリー・ジョンソン氏が蒐集された作品の中から、田中氏が制作された三点が、色金の世界:田中照一と題され、サックラー・ギャラリーで展示されました。
ワシントン以外では、ボルティモア・ジュエリー・センターで、三日間のワークショップを行いました。ロード・アイランド・スクール・オブ・デザインでは、ジュエリーや金工を専攻する学生たちを対象に講義を、ボルティモア美術館では来館者を前に講演をなさいました。
ルイズ・コート
陶芸担当 名誉学芸員